翻訳ひろば
翻訳や英語というものについて、感じること、考えることを周辺雑記を交えながら、不定期につらつら書いてみます。
名詞化再考 (3)
「日本通訳学会」から出ている『通訳研究』(第6号, 2006)に件の長沼氏の「翻訳における「名詞化」という文法的比喩」という論文が掲載されている。

学術論文だけあって、すらすら読み下すような訳には行かないが、じっくり読んでいくとその論旨がつかめてくる。

長沼氏の関心をまずとらえたのは、「かけこみ乗車は危ないのでおやめください」という鉄道会社の警告文とその英訳である。英訳は、いずれも動詞的にこれを表現している。そして、その英文の考えられる動詞的構文の「和訳」よりも、「かけこみ乗車は」という
 (1) 名詞化的訳語
 (2) 助詞「は」を用いた主題の掲示
の方がいずれもすぐれていると長沼氏は主張する。

つまり、「何」を訳出するかだけを問題とするのではなく、「誰」に対してのメッセージを、「どのように」テクストが構成しているのかを見落としてはならないというわけである(p.18参照)。

名詞化的に訳した方が良い場合は、いくらでも考えられる。たとえば“the addition of sugar”という語句について考えると、学術的な、あるいは科学的な現場において、「砂糖の追加」と訳した方が適切と思われる場合は容易に想像がつくという。もちろん名詞化が不具合を招く場合もあることは、以下の引用文のように、正しく認識されている。

科学技術をはじめとする学術知識を凝縮し蓄積しながらテクストを展開する上で、名詞化は有効であるが、同時に、主語や時制が欠落することで曖昧な表現となる。上述の “the addition of sugar” では、誰がいつ砂糖を加えたのかが不明である。このため、教科書などで多用されると学習者の理解を阻害する原因ともなり得るし、取扱説明書などでのわかり難さの一因とも考えられる。

SFL における文法的比喩の分析は主として英語の言語機能に基づいているが、日本語においても同様の語彙文法資源そのものは存在する。たとえば “the addition ofsugar” に対して、「砂糖の追加」または「糖分の添加」という表現は日本語にもある。しかし、テクストにおいてそれが具現される程度や頻度は同じではなく、ここに翻訳者の選択が関与することとなる。時として、「砂糖を加えると」というように、名詞文から動詞文に解きほぐして (unpacked)、翻訳する場合もあるであろう。この場合は、日本語という言語システムとしては名詞化での表現という等価があるにもかかわらず、その具現されたテクストにおいては等価を選択することを阻害する要因があるのである。(p.20)


翻訳者が関与して、ある名詞句を動詞文に解きほぐすことを選択すべき場合があることを長沼氏はきちんと言明しているわけである。ここから、氏が一律的に動詞的翻訳を否定し、切り捨てているわけでないことは分かる。しかし、この引用文の直後にある一文が、この論文の肝となる。

ただし、英語での名詞化を日本語に訳出する場合に、無条件で解きほぐすという従来からの方策に筆者は違和感を覚える。(p.20)


この違和感とその解明こそが、山岡氏のいわゆる「名詞構文中心の英語の原文を動詞構文で訳すべきだとする通説を批判している点」にほかならない。その議論を次回は詳しく取り上げてみたい。
名詞化再考 (2)
英語は、名詞構文を核として組み立てられることが多い。しかも、少し長い文章になると、鍵となる名詞を前から後ろから形容詞や関係詞その他の修飾句でぐるぐる巻きにしたものを、いくらでも長く続けていくという、困った習性を持っている。

こうした英語の原文を、素直で分かりやすい日本語に訳すには、名詞を動詞構文で読み解くことが有用だとされている。事実、その通りだとも思う。

ところが、山岡洋一氏が紹介している論文では、立教大学の長沼美香子准教授が、そうした名詞構文中心英語の原文を動詞構文で訳すべきだとする通説を批判しているという。捨てては置けない問題である。どういう批判なのか、聞くべき点があるのか、それともとんちんかんなことを言っているのか確かめなくてはならない。

その論文とは、とある学会誌に掲載されているのだが、アクセスしてみると入手するのに1200円かかるということだ。これはちと痛い。しかも、すぐに分からないのはつらい。

困ったときはGoogleである。色々と検索してみると、2008 年4 月19 日に開催された、2008 年度日本機能言語学会春期例会で、件の長沼氏が以下のような研究発表を行っていることが分かった。梗概しか分からないが、案内書に記載されていた文章をあげてみよう。

日本語と英語間における翻訳から再考する「名詞化」
長沼美香子
立教大学 (mikako@katch.ne.jp)

本稿の目的は、翻訳における「名詞化」に焦点を合わせて、その諸相を整理することである。選択体系機能言語学(SFL)では、名詞化は「文法的比喩を作り出す最も強力な語彙文法資源」(Halliday 1994: 352)として論じられる。そして、英語における「もの(Thing)」としての名詞(群)を中心に分析されるが、「こと(Fact)」としての名詞(群)にはあまり言及しない。筆者は日本語における名詞化は英語での具現や機能とはシンメトリーではないのではないかと感じている。これは翻訳者としての経験則であるが、SFL での英語を中心とする分析では、翻訳での名詞化の問題を扱えないことが多いのである。そもそも名詞化の定義もあいまいである。そこで本稿では、多様な名詞化がどのように具現され機能するのかを、日本語と英語との間の翻訳という視点から考えてみたい。


ううむ。何のことを言っているのかさっぱり分からないぞ。具体的な事例がないので、主張の肝となる部分の見当がつかないのである。まあ、背景知識に乏しいので、さらりと書かれると想像がつかないということなのだが。

というわけで、さらに調査を進めたところ、長沼氏の主張が良く分かる文献を発見できた。次回はその内容をご紹介しよう。
名詞化再考 (1)
翻訳家の山岡洋一氏が、その『翻訳通信』(2009年4月号)でいくつか刺激的なことを書いている。

まず、全国の大学や専門学校に膨大な数の翻訳関連科目が設立されているという実態調査の結果を受けて、次の文章である。

この調査報告から、標準的な教材がないこと、教師の教育経験が不足していることなどの問題点も読み取れる。たとえば、教材の1位と2位を占めているのは安西徹雄の『翻訳英文法』(文庫版では『英文翻訳術』)と『翻訳英文法トレーニング・マニュアル』である。いずれも、1990年代の翻訳学校ブームのときに使われていた教材であり、大学・大学院の翻訳と翻訳論の教科書になりうるものかどうか、おおいに疑問だと思える。今後、こうした問題を解決する動きが起こることを期待したい。


個人的に安西徹雄氏の『翻訳英文法』は相当の名著だと思っているので、大学・大学院の教科書にはなりえないのではないかという趣旨のこの意見には、多少意外の念をいだかされた。

自分が英文科で翻訳ゼミに出席していたのは1980年代の半ば頃だが、『翻訳英文法』のような体系的な翻訳教科書などはなく、手探りの演習を毎回行っていたものである。そのため『翻訳英文法』には大いに目が開かれたのだが、それから20年が過ぎて、もはやその『翻訳英文法』は通用しないということなのであろうか。だが英語と日本語という言語の性質がそうそう変わるものではない以上、今でも十分に当てはまる知見でぎっしり埋まっている印象を持っているのだが。

とはいえ、確かに、いつまで四半世紀も前の教科書を使っているのかという気がしないでもないので、今後の動向を見極めたいところである。

もう1つ、山岡氏が紹介しているのが、長沼美香子氏(立教大学准教授)の「翻訳と文法的比喩―名詞化再考」という論文であり、ここでも安西徹雄氏の翻訳論が俎上に上せられている。

長沼論文は、選択体系機能言語学の立場から「文法的比喩」、とくに「名詞化」の概念を取り上げ、安西徹雄の『翻訳英文法』などによって、1990年代の翻訳学校ブームの際に通説になった「自然な日本語」という見方に見直しを迫っている。翻訳者の立場で学べる点、意外な点が指摘されていて、実践に役立つと思える。

とくに面白いのは、名詞構文中心の英語の原文を動詞構文で訳すべきだとする通説を批判している点である。これは英日の翻訳だけでなく、たとえば仏英の翻訳にも共通する「翻訳の普遍的特性」だと長沼はいう。


もちろん山岡氏も「不自然な日本語」が良いと言いたいわけではないだろうし、名詞は名詞で訳し、動詞は動詞、形容詞は形容詞、副詞は副詞で訳すといった機械的な悪しき直訳には、これまで鋭く警鐘を鳴らしてきた人物である以上、名詞を動詞に読み解くことそのものを問題視しているとは思えない。

長岡氏の動詞構文化批判のどのような点が面白いと思ったのか、もう少し書いてほしいところだ。

ただし、そのおかげで安西式翻訳論のどこが問題で、何がその限界なのか調べていくという課題ができたようである。貴重な刺激を与えてくれた『翻訳通信』に感謝したい。
英語に強くなる多義語二〇〇
最近読み終えた本に、佐久間治著『英語に強くなる多義語二〇〇』(ちくま新書, 1998)がある。一気に読んだのではなく、毎日のこまぎれ時間に少しずつ読み進めたので、二ヶ月くらいかかった。

出版社の宣伝文句によると、

多義語とは文字通り「定義が多い語」。一見ばらばらな語意も、その変遷をたどれば一定の規則性が見えてくる。楽しいエピソードをまじえて多義語の謎を解き明かす。


ひとつの単語に、隔たりのある定義が同居しているのはなぜか?一般的な英和辞典にその答えを求めることはできない。約200語におよぶ多義語を取り上げ、語意の変遷を丹念にたどり、多義語の謎を解き明かす。


とのことだ。

楽しいエピソードかどうかは分からないが、著者の優しい視線と穏やかな語り口に促されて、「ふうん」、「へえー」と軽く驚きながら、無理なく読了したという感じである。何を学んだのか、本当に英語に強くなったのか、というといささか心もとないものがあるが、英語の語義の変遷や、大本の意味についての感覚が鋭くなったことは間違いない。

本書の目次の項目は次のようなものだが、こういう感じで確かに楽しく読める仕掛けはしてあるわけである。

1 牛丼にウズラの卵黄を落として「ユッケ牛丼」
2 ペン型入力ツールでもやはり「マウス」
3 伝言ゲームの原理
4 人間も動物なのに「人間vs動物」?
5 「意味を発展させる、意味を帯びる」は日本語?
6 年齢に「いい」も「わるい」もないのに、なぜか「いい年をして…」
7 下位者に対しても「お前」「貴様」
8 「有り難し」から「有り難い」「有り難う」へ
9 「事件のあらまし」と「仕事はあらまし終わった」
10 彼の右に出る者はいない
11 「すかさず」とは「すき間をおかない」こと
12 「最後」と「持ちこたえる」は「最後まで持ちこたえる」から?
13 「腕がいっぱい→武力・武器」?

その余勢をかって、今は栗原優著『英単語この意味を知ればこわくない』(講談社現代新書, 2000)を、やはり少しずつ読み始めた。こちらは多義語ではなく、よく知られている単語に、あれっというような意味があるのはなぜか、という視点から書かれている。

旅行や会話向けの単語が拾われているが、それはそれで面白い。いつまでかかるか分からないが、またゆっくりと読み進めていこう。
書店の閉店
近所にずっとあった、それなりに大きな書店が店を閉じることになった。品揃え、店員の質も含めて、すぐ隣に新設された総合書店に差を付けられていたため、 致し方ないとも思うが、四半世紀も営業していたものがなくなるのは、少しさびしいものがある。

洋書がバーゲンで売られているという情報だったが、もともと洋書は品薄だったのであまり期待していなかった。また、洋書はネットで買うことが本当に多くなったからでもある。色々な意味で書店とのつきあい方が変わりつつある昨今である。

とはいえ先週末の夕方、散歩がてらその閉店間際の書店に行ってみた。洋書のコーナーをとりあえず冷やかしで眺めてみたところ、「70%OFF」という表示にびっくりした。そこでインテリア系のグラビア本を二冊買う。


1. Alice Whately, "peaceful spaces: transform your home into a haven of calm and tranquility" (Ryland Peters & Small)

peaceful

2. Hilary Mandleberg, "marie claire Maison SMALL SPACES" (Quadrille Publishing Limited)

  small


掘り出し物だ(ワゴンの中で文字通り掘り出した(笑))。こういうお洒落な部屋の写真は見ているだけで嬉しくなる。ただし、この手のハードカバーの写真本はサイズも大きく、値段も張るのでなかなか買えないのである。70%引きはありがたい。少しずつ適当に手にとって読むので何年かは楽しめるだろう。普段接している英文やその翻訳とは全く違う世界の英語を読むのは新鮮だ。

2.のP.13の写真には、部屋に置かれたテーブルの上にMacintosh PowerBookというラップトップコンピュータが載っている。トラックボールがあるので、かなり初期のものだ。PowerBook Duoではなく、もう少し黒っぽい筐体だ。いずれにせよグラビア映えはしている。2007年に出た写真集に90年代初頭のマシンが乗っているところがAppleデザインの先進性を物語っているような気がする。