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<title>翻訳ひろば</title>
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<description>翻訳や英語というものについて、感じること、考えることを周辺雑記を交えながら、不定期につらつら書いてみます。</description>
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<title>すごいぞGoogle</title>
<description> 忙しかったので、一箇月以上ブログの更新をしなかったら、広告が上に表示されるようになった。しかしである。この広告がなかなか面白く、素晴らしいので、更新する気にならない。この広告は、Googleによって呼び出されたリンクが掲載されるわけであるが、毎日変わる。変わるだけでなく、内容がすごい。ちなみに本日10月27日はこんな感じである。Ads by Google高品質を固守する英文校正 - www.forte-science.co.jpエキスパートによ
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<![CDATA[ 忙しかったので、一箇月以上ブログの更新をしなかったら、広告が上に表示されるようになった。しかしである。この広告がなかなか面白く、素晴らしいので、更新する気にならない。<br /><br />この広告は、Googleによって呼び出されたリンクが掲載されるわけであるが、毎日変わる。変わるだけでなく、内容がすごい。ちなみに本日10月27日はこんな感じである。<br /><br /><blockquote><p>Ads by Google<br /><br />高品質を固守する英文校正 - www.forte-science.co.jp<br />エキスパートによる英語論文の高水準な校正サービス。初回10%OFF<br /><br />１クリックで翻訳 - www.babylon.com<br />スクリーン上どこででも言葉や文章を翻訳。ダウンロード無料。<br /><br />英文校正のファーステック - www.fastekjapan.com<br />投稿論文の英文校正および翻訳研究者対象の校正サービス</p></blockquote><br />見事に本ブログの内容とシンクロしているのだ。広告なのでリンク先をクリックして利用すれば、それなりの対価がかかることは分かるが、このブログの中心テーマである翻訳、日本語の文章表現という核心部をつかみ出して、そういう記事を好んで読むような人向けの広告を「はいコレ！」と差し出しているところに感嘆する。<br /><br />むろん言語解析ロボットを使って自動的に処理しているのだろうが、すごい時代になったものだ。<br /><br />とはいえ、CATツールでは、単語を分析して、それなりの用語や連続語を、規定用語集から「はいコレ！」と表示してくれるわけだから、今更おどろくことでもないか、という気もしてきたが。<br /><br />しばらく更新しない方が、読者のためではなかろうか、という深刻なアイデンティティクライシスに悩むこと三千分の一秒である。 ]]>
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<dc:subject>翻訳</dc:subject>
<dc:date>2009-10-27T11:25:47+09:00</dc:date>
<dc:creator>おだせいじ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>英語「超基本」を一日３０分！</title>
<description> 角川oneという新書のシリーズがあり、BOOKOFFに行くとよく105円で売られている。このシリーズからも例によって英語関係のものをまとめ買いするわけだが、その中で最近ずっと読んでいるのは、尾崎哲夫著『英語「超基本」を一日３０分！』である。といっても、一日30分も読めば一週間くらいで読みきってしまうので、一日1, 2ページくらいのペースである。超基本であるだけに、ごく当たり前のことが書かれている。とはいえ、長年ビジ
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<![CDATA[ 角川oneという新書のシリーズがあり、BOOKOFFに行くとよく105円で売られている。このシリーズからも例によって英語関係のものをまとめ買いするわけだが、その中で最近ずっと読んでいるのは、<br /><br />尾崎哲夫著『英語「超基本」を一日３０分！』<br /><br />である。といっても、一日30分も読めば一週間くらいで読みきってしまうので、一日1, 2ページくらいのペースである。<br /><br />超基本であるだけに、ごく当たり前のことが書かれている。とはいえ、長年ビジネスマンを対象に英語のつぼを教授してきた著者は、「ここを押さえればOK!」という、わかりやすく、最小限の努力で最大限の効果をもたらすような書き方をしており、たいへんにありがたい。<br /><br />あっと驚くような発見はないものの、中学生になったうちの子に英語を教えるとき、何となく身についていた事項を体系立てて説明するのに、あれ？と考え込むことが多くなったので、この本で助けられることは多い。<br /><br />たとえば、関係代名詞 that や whichが省略されるのはどういう場合か。<br /><br />This is the cat which I saw yesterday.<br /><br />の which　は省略できるか。できるとしたらなぜか。<br /><br />と中学生が質問してきたとき、何といえばよいだろうか。目的格の関係代名詞は、直後に主語プラス動詞をとり、その場合、省略されることが多い。主格の関係代名詞は直後に動詞をとり、これは省略できない。と答えなくてはならないのだ。<br /><br />こういう、教え方のつぼを学ぶことができるという点で重宝する本である。もちろん、うろ覚えになっていた基本的な事項を復習するという意味でも、適当に敷居が低く、好感が持てる。<br /><br />こんな初歩的な本は読む必要ないよなと思っていた時期もあったが、今はそれほどつっぱってはいない。別に「学んで時にこれを習う。また楽しからずや」という孔子の言葉にいれこんでいるわけではなく、ゴルフでもピアノでも一流の人になればなるほど基本練習を欠かさないという意味が実感として分かってきたからである。まして自分は英語人として一流でも何でもないだけに、我流にならないためには日々基本に帰る必要があるだろう。 ]]>
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<dc:subject>翻訳</dc:subject>
<dc:date>2009-09-25T11:34:50+09:00</dc:date>
<dc:creator>おだせいじ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>名詞化再考 (5)</title>
<description> 長沼氏は、自分は決してぎこちない直訳文を推奨しているのではないと言う。その真意は、原文の周囲にある状況、背景、意図を汲み取らないで行う翻訳では不十分だということにある。感覚的に「自然な日本語」や｢英語らしい表現｣と言っても、その根拠が説明できないのは、テクスト全体の使用域や主題構成が視野に入っていないからである。コミュニケーションを成立させるために意味を伝えることが重要であるのは間違いないが、その意
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<![CDATA[ 長沼氏は、自分は決してぎこちない直訳文を推奨しているのではないと言う。その真意は、原文の周囲にある状況、背景、意図を汲み取らないで行う翻訳では不十分だということにある。<br /><br /><blockquote><p>感覚的に「自然な日本語」や｢英語らしい表現｣と言っても、その根拠が説明できないのは、テクスト全体の使用域や主題構成が視野に入っていないからである。コミュニケーションを成立させるために意味を伝えることが重要であるのは間違いないが、その意味が形式としても具現されていることを忘れてはならない。しかし、誤解のないように補足するが、筆者は個々の言語固有の好みや傾向を否定し、表面的な形式のみに忠実なぎこちない「直訳」を決して推奨するものではない。レトリックについて日本語と英語を比較した後で述べた池上（1995: 256）の次のことばが、文法的比喩の選択においてもそのまま適用できるであろう。<br /><br />　問題となる点とは、個々の言語にはそれぞれの<br />　好みがあるということである。その結果、どの<br />　形式も可能であると言っても、すべての形式が<br />　同じような頻度と互いに並行した使用範囲を示<br />　すような形で認められるとは限らないのである。<br />　　　　　　　　　　　　　　　　　　（p.25-26）</p></blockquote><br />逆に言えば、ある形式を高い頻度で要請する文脈（コンテクスト）があれば、その形式で訳すことが定石となるわけであり、原文の性格付けによっておのずと適訳は決まるということになる。<br /><br />そうした原文の性格をいかに科学的に抽出し、個人の好みや感覚というもの以上に客観性をもって提示できるか。それがあいまいであっては、よく説明のできない個人技芸でしか終わらないというのが長沼氏の主張である。そして、その科学的なテキストの分析には、テキストが本来的に有する三つのメタ機能を割り出すことが有用だとする。<br /><br />これを説明しているのが、以下の引用文である。<br /><br /><blockquote><p>翻訳における「理論と実践」というフレーズには、「等価」の議論と同様に両刃の剣となりうる危うさがある。定義があいまいで誤解が生じやすいのである。たとえば、翻訳理論に基づいて実践をすることが、即、翻訳技術の上達につながるという幻想や、あたかも「翻訳のコツ」が学校で教えられるというような発想も誤解からではないかと思う。また、翻訳者の経験則を理論と誤解する場合もある。経験則から導き出された「翻訳のルール」で、なぜそうなるかをきちんと説明できないのは、言語学理論とのはっきりとした相違である。<br /><br />翻訳の理論研究とは無関係に、古今東西にすばらしい上質の翻訳作品が存在するのも事実である。そのような質の高さとは何であろうか。山岡（2001: 106-161）も指摘するように、「原文の意味を伝える翻訳」のためには「内容を理解する技術」が必須である。では、内容理解とは何であろうか。テクストの作り出す意味には3 つのメタ機能があり、内容理解は単に命題的な意味の理解で完結するものでない。誰に対してどのように意味を構成していくのかというところまで、翻訳者の選択は要請されるのである。<br /><br />翻訳者のさまざまな選択の結実としての翻訳作品は言語テクストの探検にうってつけである。もちろん、道に迷わないためには地図や羅針盤が必要であろう。SFL はそのような有用なツールのひとつであると筆者は考える。</p></blockquote><br />ここで語られる「3 つのメタ機能」とは、観念構成的 (ideational)、対人的 (interpersonal)、テクスト形成的 (textual)機能を指している。その意味は、SFLについて概説した以下の段落に詳しい。いささか長くなるが、SFLについて門外漢の自分があれこれまとめるよりも専門家の長沼氏に語っていただこう。<br /><br /><blockquote><p>ここで、テクスト分析をするツールとして用いるSFL について、翻訳研究との関連という限られた視点から概観しておく。SFL は、人類学者のマリノフスキー(Malinowski) や言語学者のファース (Firth) らの流れをくむロンドン言語学派のハリデー (Halliday) を中心とする言語理論である (Halliday: 1994, Halliday andMatthiessen: 2004, Matthiessen: 1995)。文化のコンテクスト（context of culture）や状況のコンテクスト (context of situation) という環境のもとで、言語は意味を作り出す(meaning-making) ための体系と解釈され、意味のしかた (how to mean) が選択される。つまり、“Systemic theory is a theory of meaning as choice, by which a language,or any other semiotic system, is interpreted as networks of interlocking options”(Halliday 1994: xiv) という立場である。機能主義 (functionalism) に立ち、言語使用を研究の対象とするため、この理論の適用範囲は広い。そして、ハリデーは翻訳・通訳への応用 (Halliday 1994: xxix) もそのひとつとして挙げている。SFL は英語をベースとして発展してきたが、近年では多言語の分析から言語類型論 (Caffarel et al.:2004) への流れのなかでも、翻訳研究が議論されている2)。<br /><br />SFL の言語モデルを簡略に図式化すると、図1 の通りである（Butt et al. 2000: 7 をもとに筆者が加筆修正）。言語システムが、意味層、語彙文法層、音韻･書記層の3 つに層化 (stratification) し、さらにそれらの上位に状況や文化のコンテクストがある。そして、上位の層が下位の層で具現化 (realization) され、下位の層は上位の層に包括されているという関係にあり、各層は有機的に結びついている。意味層に直接影響をあたえる状況のコンテクストでは、活動領域 (field)、役割関係 (tenor)、伝達様式(mode) という要素が使用域 (register) を構成する。また、言語システムでは意味層において、観念構成的 (ideational)、対人的 (interpersonal)、テクスト形成的 (textual)機能が言語のメタ機能として同時に3 つの意味を作り出し、語彙文法層における意味のしかたで具現されている。この語彙文法層では、過程構成 (TRANSITIVITY)、叙法(MOOD)、主題 (THEME) 3) などの選択体系網 (system network) から選択された意味のしかたが具体的なテクスト (instance) を生み出す。翻訳研究が対象とするのも具体的な作品としてのテクストであるが、翻訳者がなぜそのような選択をしたのかというプロセスを解明するためには、3 つのメタ機能やコンテクストを視野に入れた考察が必要である。<br /><br />言語システムが3 つのメタ機能を同時に有するのであれば、翻訳研究においてもこれらに等しく注目すべきである。　(p.17)</p></blockquote><br />結論的に言うと、翻訳者は「何」を訳出するかだけを問題とするのではなく、「誰」に対してのメッセージを、「どのように」テクストが構成しているのかを見落としてはならないというわけである（p.18参照）。そして、その「どのように」という部分を体系立てて整理し、ありうべき形式候補をしぼりこみ、最終的に確定するツールとしてSFLが有用ではないかというのが長沼氏の論点にほかならない。<br /><br />惜しむらくは具体的な事例がより多数挙げられていれば、さらに有用な文献となっていただろうが、これは研究の途中発表という性格のものであろうから、今後の成果にさらに期待したい。<br /><br />現時点の感想を述べれば、学問的に厳密に翻訳をとらえるとはこういうことなのかと敬服するものである。初めは、つまり文脈をよく考えて翻訳しましょう、ということではないか。何を当たり前のことを、と思わないではなかったが、それはいささか考えが浅かった。<br /><br />もちろん、腕の良い翻訳者であれば、氏がるる述べているようなことは頭の中で瞬時に計算し、最適訳をはじきだして訳文を作成することができるわけだ。だが、なぜこの形式の訳文が最適なのかという説明や技術の伝達という点では、それでは心もとない。長嶋監督が語るホームランの打ち方のようなものだ。球筋に沿って、すっとバットを出して、カツンと当てて振りぬけ、といわれても、凡人には、それではできない。明晰で客観的で、他者に伝達できる体系的な技術としての翻訳学を科学として成立させる一歩として、このような研究の発展を願うものである。 ]]>
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<dc:subject>翻訳</dc:subject>
<dc:date>2009-08-27T14:29:36+09:00</dc:date>
<dc:creator>おだせいじ</dc:creator>
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<title>名詞化再考 (4)</title>
<description> 長沼氏が安易な動詞的翻訳についてなぜ違和感を感じるのかは、次の一文によって言い切られている。翻訳を評価する際に、何気なく「正しい日本語」や「自然な日本語」という表現が使用されたり、「日本語の原文に引きずられない英訳」というコメントが不用意になされたりしている。しかし、何が正しく自然であるのか、どうして引きずられると拙いのかは、そのテクストを分析して、主題－題述の展開も含めたテクスト全体から判断する
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<![CDATA[ 長沼氏が安易な動詞的翻訳についてなぜ違和感を感じるのかは、次の一文によって言い切られている。<br /><br /><blockquote>翻訳を評価する際に、何気なく「正しい日本語」や「自然な日本語」という表現が使用されたり、「日本語の原文に引きずられない英訳」というコメントが不用意になされたりしている。しかし、何が正しく自然であるのか、どうして引きずられると拙いのかは、そのテクストを分析して、主題－題述の展開も含めたテクスト全体から判断する必要がある。（p.24）</p></blockquote><br />つまり単にすらすら読めて、よく分かったよく分かったと喜んでいればいい問題ではないということだ。主題と、その叙述展開、そしてテキスト全体の性格を含め、全体的に判断した上で、動詞的翻訳と名詞的翻訳を使い分ける判断をすべきなのである。そうした氏の問題意識が最もよく現れている部分を、いささか長いがここで引用してみよう。<br /><br /><blockquote><p>英文法の参考書や翻訳に関するノウハウを指南した書籍などでは、必ずと言ってよいほど、日本語として自然に訳出するコツとして、「解きほぐした表現」が推奨されている（伊藤: 1979、江川: 1991、安西: 1995、平子: 1999 など他多数）。名詞文から動詞文へと読みほどいて翻訳するのを例外なくよしとしているのである。このような指摘に対してこれまで誰も異議を唱えることがなかったのも不思議である。SFL での文法的比喩の分析を踏まえて、日英翻訳における言わば「常識」のひとつをここで少しだけ修正しておきたいと思う。<br /><br />名詞化については、翻訳者を主な対象としない学習参考書においても広範に取り上げられていることからわかるように、一般の英語学習者にとっても英文解釈上重要なポイントである。江川（1999: 30-36）では、英語での名詞構文の訳し方について「直訳」と「還元訳」を提示し、解きほぐした訳出である後者が好ましいとしている。また、翻訳上の問題としては、安西（1995: 25-66）や平子（1999: 116-117）が議論している。平子は「名詞文は日本語としては言葉が固い」し、｢概念用語が次々と続く速度が、日本語としては不自然｣であるとする。安西は「無生物主語」の訳出の仕方としても解説しており、「日本語の発想法に従った自然な訳文」として、英語の名詞化は日本語では副詞節などに読みほどいて翻訳するのをよしとしている。(p.24)</p></blockquote><br />最初の段落の最後の一文にある「日英翻訳における言わば」は、「英日翻訳における言わば」の間違いだと思う。とはいえ、こうした「常識」をなぜ長沼氏は修正したいと考えるのか。<br /><br /><blockquote><p>伊藤（1979: 129-130）は、“The doctor’s careful examination of the patient broughtabout his speedy recovery” における “examination” を中心とする名詞化の表現に注目し、「医者が患者を注意深く診察したおかげで、患者はどんどんよくなった」と訳例を示して、「医者の患者の注意深い診察」などと訳出しては「日本語と言いがたい」としている。同感である。しかし、コンテクスト次第では「医師の患者に対する慎重な診察が回復を早めた」などとすべき場合もあるのではないだろうか。学術論文であれば、日本語においてもこのような表現が適切であろう。また、動詞文を FACT として「コト化」して主題構成を維持するという中間体も考えられる。「医者の患者の注意深い診察」が日本語と言いがたいのは、口語的な語彙をそのまま流しこんだような稚拙な悪訳が問題なのである。これは日本語での名詞化とは次元の異なる問題である。さらに、伊藤は逆に英語に訳出する際には、“As the doctor examined him carefully, the patient recovered speedily.” とするよりも、「圧縮した」先述の英文が「英語らしい表現」としている。はたして、常にそうであろうか。言語の使用域を考慮すると後者のほうが適切な場合も想定される。たとえば、友人同士の会話などはどうであろうか。英語においても、口語では意味と語彙文法が一致した表現が使用されるのがデフォルトである。(p.25)</p></blockquote><br />学術論文なのか、友人や家族同士の会話なのか、そういうコンテクスト（文脈・背景情報）次第で、「適訳」は変わるものなのだ。そういうダイナミズムをとらえずに、どちらの訳がすぐれている劣っているというのは、ある意味でナンセンスなのではないかというのが、長沼氏の主張である。そして、そのコンテクストをふくんだコミュニケーションの場を切り取り、分析するものとしてすぐれているのが、長沼氏の研究対象であるSFL（選択体系機能言語学）というツールらしいのである。<br /><br />次回は、そのSFLについても少し取り上げながら、この項を完結することにしたい。 ]]>
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<dc:subject>翻訳</dc:subject>
<dc:date>2009-07-28T09:46:48+09:00</dc:date>
<dc:creator>おだせいじ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>名詞化再考 (3)</title>
<description> 「日本通訳学会」から出ている『通訳研究』（第6号, 2006）に件の長沼氏の「翻訳における「名詞化」という文法的比喩」という論文が掲載されている。学術論文だけあって、すらすら読み下すような訳には行かないが、じっくり読んでいくとその論旨がつかめてくる。長沼氏の関心をまずとらえたのは、「かけこみ乗車は危ないのでおやめください」という鉄道会社の警告文とその英訳である。英訳は、いずれも動詞的にこれを表現している
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<![CDATA[ 「日本通訳学会」から出ている『通訳研究』（第6号, 2006）に件の長沼氏の「<a href="http://someya-net.com/10-JAIS/Kaishi2006/edited%20for%20publication/01-07%20Naganuma_Final.pdf" target="_blank" title="翻訳における「名詞化」という文法的比喩">翻訳における「名詞化」という文法的比喩</a>」という論文が掲載されている。<br /><br />学術論文だけあって、すらすら読み下すような訳には行かないが、じっくり読んでいくとその論旨がつかめてくる。<br /><br />長沼氏の関心をまずとらえたのは、「かけこみ乗車は危ないのでおやめください」という鉄道会社の警告文とその英訳である。英訳は、いずれも動詞的にこれを表現している。そして、その英文の考えられる動詞的構文の「和訳」よりも、「かけこみ乗車は」という<br />　(1) 名詞化的訳語<br />　(2) 助詞「は」を用いた主題の掲示<br />の方がいずれもすぐれていると長沼氏は主張する。<br /><br />つまり、「何」を訳出するかだけを問題とするのではなく、「誰」に対してのメッセージを、「どのように」テクストが構成しているのかを見落としてはならないというわけである（p.18参照）。<br /><br />名詞化的に訳した方が良い場合は、いくらでも考えられる。たとえば“the addition of sugar”という語句について考えると、学術的な、あるいは科学的な現場において、「砂糖の追加」と訳した方が適切と思われる場合は容易に想像がつくという。もちろん名詞化が不具合を招く場合もあることは、以下の引用文のように、正しく認識されている。<br /><br /><blockquote><p>科学技術をはじめとする学術知識を凝縮し蓄積しながらテクストを展開する上で、名詞化は有効であるが、同時に、主語や時制が欠落することで曖昧な表現となる。上述の “the addition of sugar” では、誰がいつ砂糖を加えたのかが不明である。このため、教科書などで多用されると学習者の理解を阻害する原因ともなり得るし、取扱説明書などでのわかり難さの一因とも考えられる。<br /><br />SFL における文法的比喩の分析は主として英語の言語機能に基づいているが、日本語においても同様の語彙文法資源そのものは存在する。たとえば “the addition ofsugar” に対して、「砂糖の追加」または「糖分の添加」という表現は日本語にもある。しかし、テクストにおいてそれが具現される程度や頻度は同じではなく、ここに翻訳者の選択が関与することとなる。時として、「砂糖を加えると」というように、名詞文から動詞文に解きほぐして (unpacked)、翻訳する場合もあるであろう。この場合は、日本語という言語システムとしては名詞化での表現という等価があるにもかかわらず、その具現されたテクストにおいては等価を選択することを阻害する要因があるのである。(p.20)</p></blockquote><br />翻訳者が関与して、ある名詞句を動詞文に解きほぐすことを選択すべき場合があることを長沼氏はきちんと言明しているわけである。ここから、氏が一律的に動詞的翻訳を否定し、切り捨てているわけでないことは分かる。しかし、この引用文の直後にある一文が、この論文の肝となる。<br /><br /><blockquote><p>ただし、英語での名詞化を日本語に訳出する場合に、無条件で解きほぐすという従来からの方策に筆者は違和感を覚える。(p.20)</p></blockquote><br />この違和感とその解明こそが、山岡氏のいわゆる「名詞構文中心の英語の原文を動詞構文で訳すべきだとする通説を批判している点」にほかならない。その議論を次回は詳しく取り上げてみたい。 ]]>
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<dc:subject>翻訳</dc:subject>
<dc:date>2009-06-29T10:23:32+09:00</dc:date>
<dc:creator>おだせいじ</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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